小倉街中事情 その1 

旧陸軍小倉造兵廠「給水塔」

昭和8年に開庁。太平洋戦争末期には、女子挺身隊 学徒動員で約40,000名が働く、西日本最大の軍需工場でした。この「給水塔」は実物の4分の1のレプリカでは有りますが、当時高台から造兵廠内の上水や作業水に使われてました。戦後米軍に接収されますが、当時の状況を後世に残すモニュメントとして、今やマンションやテニスコートの立ち並ぶ、小倉北区木町?大手町?紫川近くにひっそりと佇みます。

明日から8月 終戦記念日が近づきますが、やはり悲しく思いを馳せてしまいます。お国の為と只ひたすら、米国本土に落ちる「風船爆弾」を作らされた女学生や若者達。

東西に最大735m、南北に最大1325m、総面積582,717m2(約176,000坪)もの敷地を誇った工廠で、小型戦車、小銃、機関銃、高射機関砲、砲弾、風船爆弾、化学兵器などを製造していたとの事です。

現在その場所は、小倉で最も豊かでステイタスな、高級マンションや文教施設 テニスコートや散歩道のある一等地に変貌しています。歴史はともかく、素晴らしいことです。